「起業家像のワナにはまったサラ」
サラは子供の頃、一緒に住んでいたおばさんからパイの作り方を教わったのがきっかけで、パイ作りの達人になり、パイの専門店を開業した。
しかし、残念なことに、私と初めて会った頃のサラは、いわゆるエネルギッシュな起業家ではなかった。それどころか、店の経営にぐったりと疲れている様子だった。
彼女から、店の事で相談に乗って欲しいとの連絡を受けて、初めて店を訪問した時の事である。
まだ、朝の開店前の時間だというのに、彼女はとても疲れている様子で、こう切り出した。
「店を始めてから3年が経つけど、こんなに長い3年はなかったわ。お店を経営することが嫌なだけじゃないのよ。パイを焼くことさえ、もう、嫌になってしまったの。
今朝は、2時に起きて3時からここで準備していたの。それからパイを焼いて、時間通りにお店を開けて、お客さんの対応をして、掃除をして、お店を閉めたわ。
でも、その後に仕入れに行かなきゃならないし、レジの現金も勘定して、銀行にも行かなきゃならない。
それから、夕食をとって、明日のためにパイの仕込みをするのよ。これだけやっているうちに、もう夜の9時とか10時になっちゃうわ。
誰かに雇われている時なら、これだけ頑張ったら、「今日も一日、よく頑張りましたね。ありがとう。お疲れ様でした。」と言われるとこよ。
でも、私には、そんなことを言ってくれる人がいないのが普通だし、この後、テーブルに向って来月の家賃や資金繰りをどうしようかって考えなくちゃならないの。
こうなったのも、親友が「サラ、あなたのパイはこんなに美味しいのに、お店を出さないのは、もったいないわ!」という言葉を信じてしまったからなのよ。
私は、その頃、職場に不満を感じていたから、お店を開くことが、とても素敵な考えに思えたの。
お店を開店すれば、自由が手に入ると思ったし、大好きなことを仕事にできるとも思った。
それに、嫌な上司はいないし、誰からも指図を受けづに働けると信じたの。
でも、そんなことは・・・ 。 今は、私は、何一つ、報われることがないの。全てが、私の甘い考えから始まった妄想だったの・・・ 。」
サラは、そう言うと、何かを思い出したように遠くを見つめ、激しく泣き始めた。
しばらく時間が流れた後に、サラは深いため息をついて、「これから、どうすればいいのかしら。」と、つぶやくように言った。
私に訊くような口ぶりではなかった。きっと、自分自身に問いかけていたのだろう。
サラの店は、小さいながらも瀟洒なつくりになっていた。床には最高のオーク材が使われ、オーブンも最高のものが据え付けられていた。
洒落た内装にも、相当なお金をかけていたのだろう。結果として、サラは手持ちの資金を使い果たしただけでなく、多額の借金も負っていた。
それだけでなく、毎日の雑用に追われて、体力的にも限界を迎えていた。
サラは、このような状況に対して、手のほどこしようがないことに気づいていた。